私は栃木県那須塩原市に在中の室井幸治と申します。年齢は2023年12月現在、満51歳です。名前から予測できる通り、「男」です。
なぜ、この「福祉苦情.jp」というホームページを立ち上げたかと言いますと、私は現在某A型事業所にパートとして所属していますが、近年は最低賃金が毎年上がり、会社側が「最低賃金が高い」ということで待遇がだんだんと悪くなってきました。それで「なぜこんなに待遇が悪くなるんだろう?」という疑問を持ったのがそもそものきっかけでした。
会社側へ「質問・要望」を書いた文書を提出してみたり、相談に乗ってくれそうなところに相談してみたりしたのですが、かなり根深い原因があるように感じました。おそらく利用者の方ひとりが行動した程度では問題を解決できないレベルの話になってきたと感じました。
そこで・・・というわけでもないのですが、私にはコンピュータに対する知識がそれなりに備わっていまして、簡単なホームページを作成できる程度の知識はありましたので、私の住む近辺の人達だけではなく、日本全国のA型事業所やその他の福祉施設を利用している利用者の方はもちろんなのですが、そこで働く職員達にも不満を持っている方が少なからずいらっしゃるのではないかと思いました。そして個人としては声は上げにくいけど、聞いてくれる人が居るのであれば話してみたい・・・と思っている方もいらっしゃるのではないかと思います。
そんな人たちの声を聴いてみたい・・・と思いまして、このホームページを立ち上げました。ぜひ遠慮なさらずに投稿やメールで現状の「福祉」に対する苦情をお聞かせください。
栃木県那須塩原市在住
株式会社ミライズ ミライズ那須塩原 A型事業所
利用者 室井 幸治
1.できるだけ簡単に、私が辿ってきた軌跡(人生)をお話します。
私は栃木県(旧)黒磯市に生まれて小学校は市立波立小学校、
中学校は市立東那須野中学校、高校は栃木県立那須工業高等学校(現:那須清峰高等学校)の電気科を卒業しました。
最終学歴は高卒になります。
その後、株式会社メイテックという人材派遣会社に就職しました。
採用試験を受けた当時、会社側からは「栃木県に戻ってこれます」という説明を受けていました。
また(当時)宇都宮に営業所もありましたので何の疑いを持つことも無く、また採用試験にも合格して内定を頂いたため
そのままメイテックに入社しました。
就職直後から、技術的な研修を受けることが決まっていましたので高校を卒業後、名古屋にある研修センターへ行きました。
その研修センターで約10カ月の研修を受けました。
私はプログラミングに関する知識は独学である程度は習得していたのですが、
そこの研修では、より実践的な技術を教わりました。
学校で習うようなものとは異なり、わずか10カ月でも私の技術はかなり向上しました。
電気・電子回路設計(マイコンと汎用ロジックIC・トランジスタ等を用いたデジタル回路設計、
オペアンプ等を使ったアナログ回路設計、マイコンやシーケンサを用いた制御プログラミング、
RS-232Cを使ったシリアル通信など、基本的な技術を一通り教わりました。
正直言いますと、この研修で得た知識は、より実践的な内容で工業高校で教わった内容と比較しますと
天と地との差があるように感じました。私としてはすごくありがたい研修でした。
もちろん「就職」ということでしたので、給料(ボーナスも)を頂いた上でのこと(研修)でした。
研修を終えて東京に戻ってきました。栃木に戻ってこれるかと思っていたのですが、バブルも弾けて不況になり始めていたこともあり、
地元杤木ではなく、東京で派遣されることになりました。
しばらくしてから派遣先が決まりました。
派遣先は(当時)東京港区にあった「コンピューターソフト開発株式会社」というところでした。
そこでは原子力発電所で万が一事故が起こってしまったことを想定して、
その想定した事故による環境への影響を(コンピューターを用いたシミュレーションで)評価する仕事をしていました。
そんな内容でしたので、クライアントは(当時)通商産業省と(親会社である)三菱原子力工業株式会社というところが
主だったと思います。仕事は沢山やらされた気がしますが、(クライアント側の)上司が口頭では言えないようなことを
教えてくれていたのだろうと今では思っています。
東京で派遣が決まった後くらいから、実家へ電話すると父親から「帰ってきてくれないか」みたいなことを言われるようになりました。
それから3年が過ぎた頃だったと思うのですが、長女が「統合失調症」と診断され、
矢板市にある佐藤病院の精神科に入院することになってしまいました。
この話は実家に電話した際に、妹から聞かされました。
両親も若くは無くなってきていましたので「さすがに会社辞めて帰った方が良いかな?」と思いまして、
会社を辞めて実家に戻ってきました。会社に辞めることを伝えた後、いろいろ言われました。
それこそ初めて会う...というか会わされたのですが、どこぞの会社の社長には「田舎は大変だよ!」みたいなことを
かなり時間をかけて言われました。当時私は、何のことを言っているのか理解できていませんでした。
今にして思えば、私の身を案じてのことだったのでしょう・・・と思います。
今現在、私が置かれている状況を考えれば何となくですが、そう思います。
その後は(履歴書をご覧頂ければわかると思いますが)地元に戻ってきて就職をしたりしました。
会社へ就職しただけでなく、(履歴書には書きませんでしたが)父親がやっている和牛の飼育などもやったのですが、
いろいろありまして親と(特に父親と)仲が悪くなっていきました。
「いろいろ」の部分は割愛させて頂きます。正確に説明できる自信がありません。
もしお話<相談>させて頂く機会があるときには、そのとき直接ご説明させて頂くかもしれません。
いろいろありまして、親が警察沙汰にしてしまい、結果として私は強制的に那須塩原病院の精神科へ救急車に乗せられて連れていかれました。
「強制的」とは言っても、(救急車に乗せられたときに)暴れたりしたわけではありませんよ!。
大人しく自分から乗りました。
病院に着いて、(田口)先生の診察(?)を受けたのですが、「警察に2度通報された場合には強制入院になります。いいですか?」と聞かれました。
親が2回通報したのは事実(私のところに2回警察がきました)なので、私は「強制入院だというならそうしたらいいじゃないですか」と言いました。
そんな感じで那須高原病院に入院させられることになりました。
入院生活が始まり、しばらくして(2・3年過ぎた頃だったと思うのですが)、担当の副院長の田口先生から、
「あなたのお父さん、悪い人に見えないからあなたの妄想だよ」と定期的に行われる診察中に突然言われて、
しばらくした頃に診断書を見た(貰った?、記憶がちょっと曖昧です)ところ、姉と同じ「統合失調症」と診断書に書かれていました。
退院後に調べて知ったのですが、田口先生は「あなたの妄想だよ」と言っていたので、それで統合失調症なのだろうと思いました。
結局、那須高原病院におよそ4年間入院させられて、
退院後は1年間くらい病院のOT(作業療法)へ通い、その後1年足らずくらいですが、喫茶店ホリデー(ゆずり葉)さんでお世話になり、
那須高原ハム株式会社さんへ障害者求人でパートとして採用され、腰痛を患って退職するまでの約5年間、お世話になりました。
腰痛を患ってしまったため(当時、椅子に座っているのも辛いくらいでした)、一般の会社へ就職するのはあきらめてA型事業所に行こうと考えました。
ハローワークへ行ってその辺の事情を説明して無事に現在の「ミライズ那須塩原 A型事業所」に採用してもらうことができました。
ここでの報酬は最低賃金で、作業時間が4.25時間なのが最初から分かっていたので金銭的には赤字なのは覚悟していました。
そんな感じでしたので、そんなに長くミライズでお世話になるつもりはありませんでした。
そんな感じでミライズ那須塩原では過ごしていました。
で、いよいよ通帳の残高が少なくなってきたので「就職しようかな」と思い、
「ふれあい」の高月さん(担当の谷田部さんが移動になったとのことでした)にその辺のことを相談してみました。
それが今年の3月のことで、そのあと高月さんが移動になったということで加藤 様と(ミライズで)お会いすることになりました。
秋の初め頃くらいまでは本気で東京・千葉・埼玉方面で就職先を探そうと思っていたのですが、事情が少しずつ違ってきました。
それはミライズでの利用者の待遇が悪くなってきたことでした。
夏以降はすごく悪化してしまった感じがしました。
利用者だけでなくスタッフの方(スタッフの方は金銭的な待遇だけでずっと前からだと思いますが・・・)も悪いようだと気付きました。
そんな感じでしたので「会社の経営はどうなっているんだろう?」と思いまして、10月に入って会社側に【決算書を頂けませんか?】とお願いしてみたことから始まり、
「資料(アーカイブ)」の様な内容を経て現在に至ります。
2.私が今、やりたいこと(目的)。
「ミライズ那須塩原」を利用している方々と善意で働いているスタッフの方々の待遇改善をすることが最終目的です。
もちろん私も利用者の一人です。
3.話(相談)のポイント
(1)マロニエホテルの清掃一部屋500円
(2)ロストボールの買取額が1個平均40円で売値が50~80円
(3)
4.私の今後について
今のところ【2】を実現するために頑張っているところなので、今後について具体的には考えていませんが、
とりあえず【2】が実現したときは、また元の鞘に収まり、ミライズ那須塩原へ戻るという可能性がひとつ。
もうひとつは、別の人生を歩む(東京方面への就職も含めてですが)というのもあるかと思います。
ですが、当面は【2】の結果を出すことを目標として頑張ろうと思います。
5.【2】の実現に向けて
まず、今までの成り行きを資料としてまとめましたので、加藤 様にご覧頂きたく思います。
加藤 様には資料を一通りご覧頂いた上で、できれば相談等に乗って頂ければありがたいのですが、
駄目な場合でも、資料をご覧頂いた感想などがありましたら伺わせて頂きたいと思います。
もちろん私が加藤 様に強制することはできませんので、あくまで私の希望です。
もし、しばらくしても加藤 様から連絡が無い場合には、この資料を(メール本文の自己紹介も含めて)
その他の(心当たりのある)相談先に送付してみようと考えています。
ちなみにこの辺のことは他の人には内密にして頂きたく思います。
もちろんこれも強制できるものではありませんので(義務はあるはずだと思うのですが)、私の希望です。
以上です。
よろしくお願い致します。
